この人に聞きました!
陳文瑤先生 /チン ブンヨウ 先生
東海大学 日本語教師
いつもにこにこ笑顔で優しい陳文瑤先生にお話を伺いました!
聞いた人:福地彩日(武蔵野大学学生)
Q.
日本語を学び始めたきっかけと日本に興味を持ったきっかけを教えてください。

日本語に興味を持ったきっかけですか、、、。ごめんなさい失望されるかもしれないですけど、、、(笑)私は日本語とのきっかけは出会いは本当に大学入試が終わってやることが無くて大学1年生の近所のお姉さんが英語学科なんですよ。そのお姉さんが「日本語を勉強したいなこれからの時代は英語の他に日本語も勉強した方がいいよ」と言ってい「そうですか私も行きたい!」私も英語学科に入りたくて、それでそのお姉さんのことを凄く憧れとして見ていて自分も将来英語学科ならお姉さんのように日本語もちょこっと勉強しようかという気持ちで勉強したんですけど、それで終わるのかなと思ったら、結局まさかまさか私は英語学科ではなく日本語学科に入ってしまったんですよね。というのは昔の台湾の入試のシステムは今と違って1次試験のみの点数で行く大学が決まってしまいました。志望大学を書く順番とか結構大事で、英語学科はばーっと書いて、学校によって私の出身の大学は外国語学院という名前なのでつまり英語の他に日本語、フランス語とかがあって、私は英語の次にフランス語、スペイン語とか色々書いていて、日本語は一番下に書きました。なのに高校の担任の先生にチェックしてもらった時に「ちょっと書き換えたら?」と高校の先生から言われました。その時馬鹿正直というか。書き換えたんですよ。それで自分が想定していない日本語学科に入ってしまったんですよね(笑)しかも他の大学は全部英語学科をかいたんですよ。なのにこの大学だけ日本語とかフランス語とか書いちゃって、それなのに日本語学科にはいっちゃって、最初はほかの学科に変更するか、1浪してもう一度やりなおすか。ちょこっと考えたんですけど、「めんどいなぁ」と思って。そういう時あんまり頑張り屋じゃないので、いずれ私はダブルメジャーとかマイナーメジャーとか英語学科の授業をとればいいか。日本語はまあまあと考えて入ったんですね。今考えると運命というか、日本語を全然勉強をしようとしていなかったけど近所のお姉さんが「勉強しに行こう!」というから私も暇なのでじゃあ勉強しに行こうと遊び感覚でそこであいうえおとか勉強して。その後に入試の結果が出て、日本語学科に入ることになって、大学1年の最初の授業で先生が50音覚えた人~?と聞かれて私は手を挙げて、すごく日本語が大好きで入ってきたと思われていたかもしれないですね。そんな感じで日本語に出会いました(笑)申し訳ないですけど日本に憧れとかは全くなかったんですよね(笑)

Q.
ではそこからどうやって日本語をもっと勉強したいという気持ちになりましたか?

それも大変申し訳ないんですけど(笑)「留学したい。」いずれ海外に行ってみたいというのがあって、そこもまた、日本は想定していなかったんですけど、やはり英語圏。そのなんかアメリカの百名校とかイギリスの○○名校とかいろいろそういう本があって、それを想定して、ダブルメジャーじゃなくてマイナーの授業も英語学科の授業をバンバン取って、想定は2年生まではもう英語。英語。ですよ。まあ日本語はそこそこ。トップじゃなくてそこそこ勉強出来ていたんですけど、あの時は私立高校の学生が修学旅行で台湾に来ていて、今考えたらあの時代に卒業旅行で台湾に来られるのはよほどの大金持ちの学校ですよね。その時にチューターというかガイドが必要で「誰かやってくれないか」という事で友達といったんですよね。だから別に日本語が嫌いとかではなくてただ英語の夢は捨てられなくて2年経っても英語圏に行きたい気持ちが大きくて。でもだんだん現実の厳しさを知って、中々いい奨学金が貰えなくて、それで英語圏はいい大学に行きたいなら親がすごくエリートか、すごくお金を持っているかで、私はどちらでもないので。それもまたたまたま先輩の助手さんが勉強しているんですよ。聞いたら日本に留学したいので奨学金の試験を受けようとしている。と話していて、こういう準備をしている。と話していて条件を聞いたらめっちゃいいんですよ。往復のチケット、生活費、学費、入学金も払ってもらえる。とこんなにいい条件はなくて。そんな時にふと英語圏が難しいのなら日本でもいいか。と2年間日本語を勉強して、日本人の先生と話したり、日本人と交流したりして、日本に留学に行くのも悪くないかなあと思ってそれでだんだん先輩から情報をもらったり、だんだんそういう道に。3年になって真剣にそっちの方にシフトして。そこから私の英語がだんだん下手になりました(笑)結局は最初日本語学科を想定していなかった人とは思えない12年間という長い間日本にいました(笑)

Q.
日本の学生と台湾の学生では先生との距離感が違うと感じましたが、生徒と交流を深めるためにしていることはありますか。

そんなに意識していないです(笑)ただ、日本で私は大学院で勉強してたんですけど、指導教官との距離が近いですよね。だから私はあまり意識していなかったんですけど、台湾に戻ってきて初めて感じたんですね。ただ、元々台湾は学生と先生の距離が近いんですよね。というのは私最初非常勤をやっていたんですよね。その時に学生が「先生バイバイ」といったんですよ。その時に「え?先生にバイバイ?」というの?とカルチャーショックを受けたんですよね。そして寄って来るんですよね。学生が。でも学校によるんですけど。だから別に何か工夫しようと意識していないですね。ただ、多分他の先生たちもそうだと思うんですけど、どっちかというと理念としては“伴走者”。学生のこの大事な青春の18歳から20代に入る大事な時間帯ですよね。やはり特別な時間で若干ティーンエージャーから大人になっていくというそのいろんな悩みとかいろんな大変な時期に寄り添っていく。本当に“伴走者”という意識は先生たちはだれでもあるんですね。何もできないですけど、アドバイスというか、何か必要があったら来て。いつでも自分の経験を分かち合うようなことはしています。

Q.
先生は日本に留学されたと見ましたが、日本の大学と台湾の大学の主な違いは何ですか。

台湾は8:10からの授業があるんですよね。結構朝一からあって。でもみんな結構ちゃんと来ていて。日本はあの時9:00か9:30ですよ。結構遅めで、なのにそれでも遅刻をする人がいて、日本の大学生大丈夫?と思うくらい(笑)最初の1年くらいは大学院ん入ろうとしていたんですけど、でも大学院の前に大学生の皆と聴講しないといけないので、その時接した大学生のイメージは、もちろん真面目な人もいるんですが、だらけている学生もいて。というのは遅刻した子は遅刻した分1番前の列に座るんですよね。もちろん後ろの席は埋まってますから。なのに先生の前でかーっと寝ていたんですよ。で、先生も怒らないし。台湾ではありえないと思ってすごくカルチャーショックでした。でもその後、いろんな授業に出て、たぶんその学生だけかなと思うんですけど、やはり最初は見ていて日本は真面目な国だと思っていたので幻滅しました(笑)後はあの時代の台湾の大学生は結構政治に関して熱心でしたね。でもあの時接した日本の大学生はあんましそういう社会に関する話題は出てこなくて。大抵好きなアイドル、好きなタイプとか。台湾では私たち政治について討論とかするんですけど、日本では政治に関心が無いように思えました。その雰囲気は結構ちがいました。

Q.
生徒の意欲を湧き立てる授業を作るにはどうすれば良いのでしょうか。

この総合Cの授業に限るなら、やはり話さないといけないですね。最初は声も小さくて聞こえないのでマイクを渡して、それでも小さいのなら「んぁぁん?」というように聞き返したりするとだんだん大きくなります(笑)後は場づくりが大事なのでしゃべる勇気を与えるような感じで。ですから、間違ってもフーンと聞いたりあるいはもう1度聞き返して間違えを意識させたり、そういうあんまり否定しないで後たまには褒めてあげる。モデルの音声ファイルがあって始めはこれが唯一の答えだ。と勘違いしてしまう生徒もいるのですが、それはあくまでモデルの音声なので、それを信じさせるためにたまにはモデルよりは生徒の解答の方が好きだな~。と褒めるんです。そしたら、向こうもだんだんその気になって、作り出すんですよね。そういう風に雰囲気や場づくりは一生懸命やっていたのでちょっとその成果がでたとおもいます(笑)この教科書を使ったのも工夫の一つなんですけど、できるというのがキーワードで、この本をやれば話せるようになるという意欲につながるのでこの教科書を使ったんですね。特にこの授業は会話の授業なので目標を立てて、毎年後期に実習生とか日本からの学生がいるのでこの1学期教科書を頑張れば、簡単な日本語でも日本人と話せるよ!というのを目標としてやっていて、生の日本人と話すことを次回の目標として意欲を湧き立ています。

Q.
教師を目指す学生に必要な能力を1つ選ぶとしたらなんですか。

1つだけ、、難しいですね(笑)好奇心かな。教師というのは長くやればだんだん慣れてくるんですよね。このままでもやっていけるような感じで。でも、時代がどんどん変わっていくし、学生もどんどん違ってくるんですよね。私は30代で帰ってきたときは大学生からブンヨウ姉ちゃんと呼ばれて、でも今は年が学生と離れて行ってやはり考え方も結構違ってくるので、常に今世の中に何があるか。学生が気づいていないことを伝えることができることが大切だと思います。あと今の学生が何に興味を持っているとかそういうのを常に好奇心を持たないといけないと思います。長くやっているとずっとこのままでいいやという気持ちが大きくなりやすいので好奇心が大事だと思います。

わたしが書きました!
福地彩日/Fukuchi Ayaka
武蔵野大学日本語コミュニケーション学科2年生(取材当時)
今回の海外インターンシップでの経験はこの学科でしかできないことなのでとても勉強になりました。東海大学での授業見学や日本語学科の生徒との交流の経験を生かして将来のために頑張りたいと思います。